ありのスポーツどうなん
第66回 「スポーツのその先にあるもの」
北九州市障害者スポーツセンター
アレアス 所長 有延 忠剛
東京2020が終わった。
期間中テレビの前で一喜一憂しながら興奮の中にいた私ではあるが、一方でそもそもスポーツは「媒体」、「手段」であるべきだとも、常々考えてきた。
子どものころ、大好きな野球に明け暮れた私にとって、夢は「甲子園出場」だったり、「プロ野球選手になる」ことだったが、先述の意味において言えば、「自己実現」あるいは「生活のための生業」ということになろうか。
一方で、スポーツ大会で優秀な成績を残したアスリートが、人に迷惑をかけたり、傷つけたりすることもある。過去、オリンピックで2大会連続金メダルを獲得したアスリートが、結果的にその成果によって得た立場を利用してある事件を起こし、裁判で実刑判決を受けるということがあった。一体何のためのスポーツだったのか。
閑話休題、東京パラリンピックの出場選手の中で、私がいまだかつて感じたことのない魅力を感じた選手がいた。水泳の富田宇宙選手である。メダルも獲得し、アスリートとしてももちろん凄い選手なのであるが、私が富田選手の凄さを感じているのはそこだけではない。
彼の発する言葉なのである。相当な重みを感じるのに、とても柔らかくわかりやすい。
なんと言っても私がこれまで感じたことがないくらいスポーツには様々な可能性が秘められていることを感じさせてくれるのである。
彼の障害は、「網膜色素変性症」。時間をかけながら身体機能を奪われていくという点において、そう、筋ジストロフィー症であった、ふうせんバレーボールの荒川孝一氏と共通している。
スポーツの価値を高め、可能性を今後も大いに広げてくれるであろう富田選手。
皆さんもぜひ注目していただきたい。