ありの「スポーツどうなん?」
第65回 次代へ繋ぐ大きな一歩
北九州市障害者スポーツセンターアレアス
所 長 有延 忠剛
1989年ふうせんバレーボールは誕生した。故荒川孝一氏を中心に当時の関係者が集い、
喧々諤々意見を戦わせながら、ふうせんバレーボールは形づくられたのである。
以来三十数年もの間このふうせんバレーボールは、ルールを少しずつ改良しながら、多くの人たちの手によって受け継がれてきた。
多くの人を巻き込んだ一番の理由は、「ふうせんを使うことで、重い障害があってもプレーしやすいこと」、そして『ボールが自コートに来たら、6人全員が一度は必ずボールに触れてからでないと相手コートに返してはいけない』というルールが存在すること。つまり、スポーツ(バレーボール)のダイナミズムを残しつつも、障害の有無の垣根を越えた「全員参加」を限りなく追及したこのスポーツの特性にある。
様々なちがい、つまり多様性を大切にしてきたことも含めて、このスポーツの普遍的な価値が、まさに今広く認知され、きっと次の世代へと引き継がれていく。
この大きな後押しとなったのが、今から2年前の中学校(2年)の道徳の教科書で紹介された
ことだ。「共生」についてのコラムの中で、「どんな工夫をすれば一緒にスポーツを楽しめるか」というテーマの中で紹介された。
さらに、今年の4月に、中学校(全学年用)の保健体育の教科書の中で「人と人をつなぐスポーツ」として、そして保健体育の副読本では、「さまざまなスポーツ」として、「野球」、「ラグビー」、「ゴルフ」などのメジャースポーツと並び、かつ1ページにわたって紹介されたのだ。驚愕の出来事である。
1989年にこのスポーツを誕生させた方たちの「いつかオリンピック種目に!」という夢は今も実現できていないが、中学教育の中で複数の教科書で取り上げていただいた。
次代へ繋ぐための大きな一歩となるであろう。