ありの「スポーツどうなん?」
北九州市障害者スポーツセンター アレアス
所 長 有延 忠剛
第59回 「二つの必然」その1
「共生社会の実現」という言葉を目や耳にする機会が年々増えている。
さらにその実現に向けて、スポーツに寄せられる期待感が年々高まっている。
そんな中、ふうせんバレーボールは誕生から30年を迎えた。故人も含め30年に渡る関係者の努力の積み重ねの成果として、ふうせんバレーボールは共生のスポーツとして国内外に広がってきた。
なぜ、多くの人々から共生のスポーツとして評価されているのか。そこには、他のスポーツには存在しない二つの必然があるのだ。
それは何か。
「障がいのある人もない人もともに参加できるスポーツだから」か、それとも、「チームの全員が必ず一度はボールに触れて返球するルールとなっているから」なのか。
実はそれらは、ある必然の中で具現化されたものであるに過ぎない。
必然たる一つ。それはそもそも、ふうせんバレーボールというスポーツが「共生を願って生み出された」ものであるということ。つまり、ふうせんバレーボールは一つのスポーツであると同時に、生み出された当初から、人々が「共生」を目指すための「手段」だったのだ。
重度障がい者のために生み出されたスポーツが、その普及発展の過程の中で共生型スポーツとして取り扱われるケースは多い。
次回は、ふうせんバレーボールがなぜ共生のスポーツとされるのか。ふうせんバレーボールを考案した中心人物に隠される「二つ目の必然」について触れたい。