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 北九州市障害福祉情報センター > ひこうせん未来 > 77号 > 

ありの「スポーツどうなん?」

情報誌

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◆ありの「スポーツどうなん?」

第50回 ふうせんバレーの落とし穴?!(その3)                                       

                                        北九州市障害者スポーツセンターアレアス

                                                   所長 有延 忠剛


 前号では、「障がいのある人とない人がともに支え合いの中でプレーするからこそ、過剰な介助が行われ、障がいのある選手の自主性、主体性が損なわれる恐れがある」ことに触れた。今回ご紹介するのは次の落とし穴である。

 

◆落とし穴 その3

「誰もが参加できる」=「誰もが楽しめる」ではない。この一文だけを読むならそれは至極当然のことであるが、これがふうせんバレーボールの話になると、より混同されやすい状況に陥ってしまうのである。


 確かに「参加できる」ことは、スポーツの権利を保証するうえで重要な要素の一つであり、ふうせんバレーボール最大の功績であると言っても過言ではないと考える。障がいが重いがゆえに参加の機会がなかった方々にとっては、スポーツに触れる機会が生まれること自体、非常に大きな意味を持ち、実際にスポーツ参加することによってその刺激に魅了されることだろう。

 しかし、活動が継続していく中で、活動欲求が更に高まったり、あるいは変化したりしたときに、活動自体がそれに適応できるものでなければならない。つまり、「参加できる」ということはあくまで「スタートラインに立った」だけであって、スポーツをいかなる方法でいかに楽しむかということとはまた異なるのである。

 これはどのスポーツにも当てはまることではある。しかし、ふうせんバレーボールが誰もが参加できてしまうスポーツであるからこそ、参加する側の様々な興味関心を満たすことの難しさも存在することを指導員は知っておかねばならないし、そのための創意工夫が常に求められるのである。

 

 

 


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