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 北九州市障害福祉情報センター > ひこうせん未来 > 76号 > 

熊本での大震災を通して見えてきた障害者支援の課題

情報誌

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◆熊本での大震災を通して見えてきた障害者支援の課題

想定していなかった九州での大震災、その時、その後

                                             北九州自立生活センター

                                               代表  林 芳江

 

4月14日の夜、ウェルとばたから帰りの車中で、携帯電話から耳慣れないアラームが響き「緊急地震速報」でした。この時の地震は後に前震と呼ばれ、熊本県益城町で震度7を観測、北九州市内は震度3程度でした。そして48時間後の16日、再び緊急地震速報が一晩で計7回、テレビは一晩中消せません。夜明けが来ても不安と睡眠不足でふらふらです。いったい何が起こっているのか、北部九州へも震源は移るのか情報集めに必至、関係者の安全確保のために何をやるべきか、もうろうとした頭で考え、些かの行動をとるうちにその日は暮れて行きました。

被災地となった熊本市内の仲間や旧友に安否確認の電話ができたのは、自分の気持ちが少し落ち着いた18日の朝です。先方はまだまだ混乱状態で、市内はガソリンが不足しているため、ヘルパーが訪問できなくなるのが当面の問題と相談されますが、ガソリンは危険物の搬送なので躊躇します。けれども19日にCIL筑後と一緒に初動としてガソリンを届けました。次の支援要請を受けたのは人材の派遣でした。九州ブロックの自立生活センターで話し合いましたが、どこも人材不足で厳しく、県外への一時避難者受け入れの提案をしてみることになりました。その窓口として私と夫で23日に熊本学園大学の避難所に訪問しました。ここは指定されていた避難所ではなく、大学の特別な判断で開設された避難所です。この時点で障害者や高齢者30世帯ぐらいの人が大学の講堂一階を使って避難生活を送り、人によっては昼間デイサービスや、別の場所で各々活動し避難所に泊まりに来る人もいました。避難の理由は“家が壊れた”“夜自宅で寝るのは怖い”“ヘルパーの目途が立たない”などが主な傾向です。

そして不思議な再会を果たしたのがM君です。M君は去年何度か小倉に放浪の旅に来て、私たちが送り返す支援をしていた重複障害のある青年です。私たちの顔を見て今日の放浪は止めたようで、ぴったりと後についてきます。周りの人に彼の様子を聞いてみると、昨夜はカップ麺のお湯を求めて歩き回るなど、顔見知りや支援者がいる中でも彼は浮いているようです。そこで、一度彼のアパートに帰ってみる提案をし、避難所の荷物を纏めようとすると、山のように食料が買い込んであります。唖然としながら、特大レジ袋に投げ込まれた‘カップ麺、さんま缶、魚肉ソーセージ、袋菓子、ジュースetc’を段ボールに一週間分ぐらいずつに詰め分けて6箱できました。結局見に行った自宅は半壊状態で危険と判断し、当面はこの避難所にいてもらうしかありません。

熊本から帰っても何人かの仲間のことは心配でした。特にM君は震災前から小倉に住みたがっていたこと、見た目よりかなり重い障害だということ、生活費の9割が非常食に代わっていたこと等を総合的に考えて、北九州で引き受けるほうが良いのか、思案し夫とも話し合い、引き受ける覚悟を決めるのに数日間かかりました。そして彼が電車に乗り一人でやってきたのは5月1日、引継ぎで聞いていた到着時間から遅れること2時間、ちょうど環境大臣サミット警備中の警察官に手を借りて、出迎えた夫とやっとおちあい、最初から波乱の小倉入りです。

北九州市では一時避難者の受け入れに、市営住宅の半年間無償貸付を行っていました。とりあえずそこに落ち着いてもらう想定でしたが、そうたやすくないことは一晩彼に家に泊まってもらうだけで判りました。彼の何かとおぼつかない生活動作は、環境が変わったからだけとは思えません。しかし、生活や支援を組み立てる前提となる障害支援区分を持っていなかったことが最大の問題でした。北九州市と熊本市の間で国から出された福祉サービスに関する通知の解釈の違いがあり、こう着状態が2週間以上続きました。この間受け入れをしたことをあたかも非難されるような場面もあり、何とも言えない孤立感を味わいました。結局、彼の住民票を私たちの所に移し、北九州市の支援区分認定を受けました。2ケ月たった今も、同居し経済的な立て直しと、これからの生活スタイルを模索しています。大々的な被災地支援の隙間に落ちたこの実話を皆さんはどう思いますか。

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